フェルデンクライス身体訓練法 Ⅴ(M・フェルデンクライス / 安井武訳)

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五 すべての筋肉活動は運動である


 あらゆる行動は筋肉活動から生まれる。


見ること、話すこと、

さらに聞くことでさえ、

筋肉の動きである。



(聞くときには、

うけとる音の大きさに応じて、

筋肉が鼓膜の張力を調整する)




 あらゆる運動にとっては、

たんに機会的調整や

時間空間的精度だけが問題

なのではなく、


その強度も重量である。



筋肉がつねに弛緩していると、

動作は緩慢でひ弱なものになるし、


筋肉がつねに緊張しすぎていると、

ぎくしゃくしたぎこちない動きになる。



どちらも心の状態の反映であり、

行動の動機と密接な関係がある。




だから精神病患者や神経質なひとや、

自己イメージの不安定なひとには、


その欠陥に応じた

筋肉張力(トーヌス)の障害が

見うけられる。



そのくせリズム感や時間空間の調整

というような

その他の行動特性の面は、

それほど悪くない場合がある。


街頭で見かけるひとの動きや

表情の強弱の調整機能に故障があれば、



それを見わけるのは、

その原因がわからないような

未熟な観察者にさえ可能である。





六 運動は神経系の状態を反映する


 筋肉が収縮するのは、

神経系から絶え間なく送られる

連続した信号(インパルス)の

結果であり、



従って、直立姿勢の筋肉パターン、

顔の表情、音声は、

神経系の状態を反映している。


だから、外界に向かって

目に見える変化を生みだす

神経系に変化が起こらなければ、



当然のことながら、

姿勢も表情も声も

変えることはできない。




 そういうわけだから、

筋肉運動というとき、


実際にそれは

筋肉を活動させる

神経系の信号のことを

指しているのであって、



指令を発する信号なくして

筋肉の働きはない。


胎児の心筋は

それをコントロールする神経が

発達していなくても

収縮をしはじめるが、



心臓固有の神経系が

動きを調整できるようになってはじめて、


だれもがよく知っているような

働きをするようになる。



このことから導かれる結論は

一見逆説的に見えるかもしれない。


つまり、

行動や動きの改善は、



脳と神経系に

あらかじめ変化が生じなければ

現実のものにはならない

ということである。




すなわち、

身体行動の改善は、


中枢的コントロールの変化

を反映しており、



これが絶対的支配力をもっている。




中枢的コントロールの変化、

すなわち神経系の変化である。


そのような変化は目には見えず、

従ってそれの外への現われは、



あるひとには純粋に

精神的なものに思え、

またあるひとには純粋に

肉体的なものに思えるのだ。



七 運動は意識拡大の土台である


 自らの内部に生じることの

ほとんどは、

筋肉の働きにならないかぎり、

あやふやでつかみどころがない。



顔面や心臓や呼吸器の筋肉が働いて、


恐れや不安や笑い

その他の感情として知られている

パターンをつくるが早いか、


なにが内部で生じているかに

気づくことになる。




内部の反応や

感情に応じた筋肉表現を組織するには

ほんのわずかの時間しか

かからないとはいえ、


だれでも知っているように、

自分の笑いは他人が気づかないうちに

自分でおさえることができる。



同様に、恐れやその他の感情にしても、

目に見える表現をとらないうちに、

自分でおさえることができるのである。





 中枢神経に生じていること

に気づくのは、


姿勢、からだの安定感、

態度に起った変化に

気がついたときであり、



そういう変化は

筋肉自体に生じた変化よりも

感じとりやすいのである。


筋肉表現の完成を妨げること

ができるのは、



人間のみに固有の機能を

処理する脳の部位で行われる

プロセスが、


人間と動物に共通する機能を

処理する脳の部位で行われる

プロセスよりも、



多くの時間がかかるからなのである。


このようにプロセスの時間差がある

からこそ、



行動を起すべきか

否かの

判断と決定が可能になるのである。




全神経系の機構自体、


筋肉が指令をうけて

即座に行動を実行したり、

あるいはその実行を妨げたり

できるようなしくみになっている。



 ある表現を

つくりだすための手段が

意識にのぼった瞬間、


それの原因となった刺戟を

識別できることがある。



言いかえれば、ある行動の刺戟、

つまりある反応の原因が認知できるのは、


体内の筋肉が

その行動のために組織されている

ことを充分に意識できたときなのである。




正確にその正体を限定できなくとも、

なにかが自分の内部に起っている

のに気づくのはしばしばあることだ。



これは、新しいパターンの

組織化が行われているが、


それをどう解釈していいか

まだわからない状態なのだ。



そういうことがくりかえし起ると、

それは次第になじみ深いものになり、


その原因にも気がつくようになり、

そのプロセスがはじまっただけで

最初の兆候を感じとれるようになる。




何度もくりかえし体験をつみ重ねて

ようやくそれに気づく場合もある。



最終的に

自分の内部に生じていることを

気づかせてくれるものは、


主として筋肉である。



その他のごくわずかの情報を

伝えてくれるものとして、


皮膜類、すなわち、全身を覆う皮膚、

消化管の内面を覆う膜、

呼吸器官の内外を包む膜、

口腔や鼻腔や肛門の内部表面の皮膜がある。


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by sinonome-an | 2017-09-22 18:00 | 本からの資料

心と身体を観照する


by しののめ庵