響きあう脳と身体 (甲野善紀 × 茂木健一郎) Ⅲ

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身体の同時並列性


~前略~

甲野:人間の動きというのは

基本的には同時並列的で複雑なものです。


しかし、明治以降、

科学主義が浸透する中で、

特にスポーツ分野の身体動作については、

すべてとは言いませんが、


部分化、矮小化の傾向が

強くなっているように思います。




たとえばウエイトトレーニングの問題点は、

流行し始めた当初から

指摘されてきたことなんですが、


筋力が強くなっても、

結果として動きがぎこちなくなったり、

そのためか、


肉ばなれを起こしてしまったという

事例が数え切れないくらいある、

ということです。



農作業、大工、運送業など、

昔は、仕事の中で身体を作っていた

人たちの身体には、まず、

そういうことは起きていません。


それは、仕事の場合は


重い物を持つ時には

重さをできるだけ体全体に散らして、

楽に持とうとするからだと思うのです。


これは毎日行う仕事ですから、当然ですよね。



茂木:そうですね。あえて苦労しようとは思わない。



甲野:仕事は毎日毎日

同じようにこなすことが目的ですから、

とにかく部分に負担をかけて、

すりきらせるようなことは絶対にしない。


ところがウエイトトレーニングは

筋肉を増やすことが目的ですから、


仕事とは正反対に、

できるだけ狭い範囲に

負荷がかかるように動かす。



同じ「重いものと持つ」

という行為であっても、


ウエイトトレーニングと仕事は

正反対だというわけです。




重いものをなるべく全身に散らして

効率よく持とうとする

昔ながらの仕事の身体の使い方に対し、


重いものを「重い、重い!」と

部分に負担をかけ、


その負荷に抵抗することで

筋肉を太らそうと考える

ウエイトトレーニング。



後者は明らかに、


身体の使い方の部分化、


であり、


身体能力の限定化


だと思うのです。




私に言わせれば、

そんなふうに部分を太らせていけば、


全体としての統一性、

ネットワークが分断する

のは当然なんですよ。



野球チームで考えても、

いい選手をいくらそろえたって、

チームワークがなければ

うまくいかないということは、


中学生だって少し考えれば

わかりそうな話だと思うんですが、


いまだにウエイトトレーニングは

科学的だからよい、

と考える人が大勢います。



しかし、ウエイトトレーニングで

相当筋力を作り上げても、


ちょっとした状況設定の許では、

ウエイトで作った筋力では

ほとんど役に立ちません。

~中略~




優れた技、

次元の違う技というのは、


だいたい同時並列性が高い動きです。



同時並列性が高いから、

当然「Aの時B」という理論では

絶対に記述できません。


科学主義が浸透する中で、

論理で説明できないもの、

科学で説明できないものは

「存在しない」という扱いにされてきた、



そうした時代の流れの中で

忘れ去られたものがたくさんある

んじゃないかということですね。


今という時代は、


非常に優れた身体を使った技術体系、

つまり江戸期までに掘り進められいた

鉱山の入り口が、

落盤事故で埋まってしまったような状況


にあると言えるんじゃないでしょうか。




あるいは近代になって

故意に爆破して

その入口を塞いでしまった

のかもしれません。



体育やスポーツというは、

工学の人が扱っているロボットよりも

よほど複雑で精妙な人体

を扱っているわけですから、


今の工学で扱えるわけがないんだ、

というところからスタートする

のが当然だと思うのに、


逆に、

今の科学でわかっているレベルにまで

人体を部分化し、

限定化して引き降してきて、


話を合わせようとしている。

そこが非常に残念だというのが、

私の率直な気持ちなのです。


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by sinonome-an | 2017-12-22 00:00 | 本からの資料

心と身体を観照する


by しののめ庵